言霊「ことだま」
人が発する言葉には
霊力が宿っています。
そうは思いませんか!?
私は幼き頃から、自分の発する言葉への配慮を親に教えられてきました。
「腹が立った時は、一度言葉を飲み込んで、心で整理しなさい。」
「心で一度言ってから、言葉にしなさい。」
そう諭されてきました。
そうするうちに…
なぜか…
「さわちゃんの怒ったところを見たことが無い。だから、怒らしたら想像がつかないから怖い」
と、言われるようになりました。
言われるようになると…余計に怒りをストレート表現することを封じられたようで…
怒りを表現することがなくなりました。
その分、観察力が増し、分別力が研ぎ澄まされた気がします。
ある意味、一番たちの悪い人間になったのかもしれませんが(笑)。
2012年の『古事記』編纂1300年に際し、改めて『古事記』を読むようになり
年に何度か読み返したくなる時期があり、幾度となく読み返してきましたが…
言葉の大切さを見直す機会を得ました。
その中の一つ
伊耶那岐神と伊耶那美神の国生みの場面です。
竹田恒泰さんの『現代語古事記』の中での一文ですが…
「言霊(ことだま)といって、言葉には霊力が宿っていますから、重要な場面で言葉を間違えると、悪い結果が生じるのです。」
と、あります。
敢えて、『古事記』の内容文は書きませんが…
親の教えの大切さを今一度、噛み締める今日この頃です。
前置きが長くなりましたが…
先日のとある日
ブラリ…主人と自転車で走っていた日
交差点で信号待ちをしていると…
「ふざけんなよ!!」
と、荒げた言葉が背後から聞こえてきました。
これが、大人の言い合いなら振り返ったでしょう。(笑)))
その日は振り返りませんでした。
その「ふざけんなよ!!」は母親から幼き子にむけられた言葉でした。
話の流れは
反対側の横断歩道を渡り終えようとする親子。
母親が子供たちに「あっ!コンビニに寄って帰るから」
長男であろう子が「やったぁ〜☆」
即座に、母親が子供に向かって「ふざけんなよ!!」
長男の返す言葉はありません。
さらに、「昨日、買うたやろ!」
聞こえていた私たちは聞こえないふり…。
しばらく走って…
「産まれてこのかた、親に『ふざけんなよ!!』なんて言われたことないよね。」とポツリ…。
仮に、
我が店内で聴こえれば…容赦なく言葉を発しますが
さすがに…
驚きが先にきてしまいました。
「昨日、買うたやろ!」と言うなら…「ふざけんなよ!!」は要らないじゃありませんか!?
急を要する場面でも無いのだから、穏やかに…普通に…話せば解ることではありませんか!?
言葉の大切さを
言葉の美しさを伝えるのは
大人の役目ではないでしょうか!?
まず、親が子へ伝えるべきことではないでしょうか!?
『言霊』
人として、
そして、
カウンター商売の私は、常に心を配るところであります。
(携帯より)